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フォーラムレポート

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英語教育東京フォーラム(2008.06.27)

大釜 茂璋(教育情報プロジェクト代表)

 6月25日付のサンケイ新聞「解答乱麻」欄に、政策研究大学院大学の岡本薫教授が「PISAがどうした」を書いている。OECDのPISAテストの結果に一喜一憂する日本の教育界をチクリと刺して興味深い。文科省時代、OECDに出向経験を持つ岡本教授の論文だけに尚更である。

 話はこうだ。
最近同教授は、OECDのPISAテストについてヨーロッパ人教育専門家と話したという。

 PISAテスト結果は、いわゆるG8各国など欧米のメジャーな国は、どの学年どの科目でもほとんど15位以内に入っていず、G8の中では日本がトップを占めている。

 岡本教授が話した専門家の見解は「世界をリードする欧米各国の子どもたちについて、揃って学力が低いという結果になっているこのテストは、そもそも基準がおかしいのだろう」というものだった。

 そしてまた別の専門家は、「わが国は国民的議論を経て、民主的に定めた目標に向かって学校教育を行っており、そうした民主的コントロールと無関係の学者たちが集まって決めた基準など、わが国は相手にしていない」と述べたそうである。

 これに対してわが日本はどうか。教育によって日本の子どもたちには「何が必要で何が不要か」「結果として子どもたちをどのような状態にしたいのか?」という「具体的な目標」について、国民的議論も行われていなければ、民主的決定も行われていない。

 これは日本人特有の「国際機関崇拝」や、「感情的(非合理的・非論理的)な教育信仰」が重なることで、PISAテストの結果に対する過大評価・過剰反応が生じているのだろう、というものだった。

 そして「ミシュラン東京」を例に挙げ、教育についても日本人の「自分たちなりの基準」を議論して、「自分たちなりの具体的目標(=結果と比較すべき評価基準)」を持つべきではないかという主張である。基準のないところで比較は成り立たない。

 かつて私もPISAテストの結果が下位に滑り落ちたとマスコミが騒いでいるとき、ある教育評論家に、PISAテストの信頼性について質問をしたことがあった。それに対して教育評論家は、このテストは絶対の権威を持つというようなことを言っていたが、岡本教授によるこの問題指摘は、じつに説得力があると思ったものだ。

 結局PISAテストの基準は、日本の教育結果に添うものであるのか、具体的な教育目標に合致したものか否かの議論が、あまりにも不足していたのではなかったか。

 日本は過去国際比較テストについて準備や対策をしたことはなかったが、世論やマスコミがあまりにもPISAの結果を気にし過ぎ、文科省から学校現場までPISA対策に狂奔し始めていると岡本教授は警鐘を鳴らしているのだ。

 熱に浮かされたように結果のみに一喜一憂することなく、教育の何であるか、わが国の教育の目標をどこに置くのかを、じっくり議論することの大切さを指摘している。測る物差しの尺度が合っているものかどうか、とかく結果だけに振り回され、
結果のみがすべてのような主張が目立つ中で、この夏休みこそじっくり考えてみることも有意義である。

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