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フォーラムレポート

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英語教育東京フォーラム(2008.09.22)

飽きさせない授業のコツ
       大釜 茂璋(NPO法人 教育情報プロジェクト代表)

「どう、学校は楽しい?」と、久しぶりに会った小学4年生の姪っ子に聞いてみた。仲良しのお友達が沢山いて、学校から帰ると玄関先にランドセルを放り投げて遊びに飛び出す、今どき珍しい元気な女の子だ。

「うん、楽しいけど、校長先生のお話はいつも長いからヤダ」と言う。月曜日の今日は、朝の集会で校長先生のお話があったらしい。「どんなお話だったの?」と聞くと「知らない」と言ってケロリとしている。小さな子がいろいろな災難に会う荒んだ世の中だ。校長先生は、少しぐらい時間がかかってもみんなにわかるようにと、何か大事なことを噛み砕いて話してくれたのだろう。ところが子どもの側からすれば、ただ「長いからヤダ」となって、何にも心に残っていない。

よく"噛んで含めるように話す"という人がいますが、姪っ子のこの不満を聞いたとき、大勢の子どもたちを前にしては、噛んで含めるという話し方は、あんまり効果がないのではないかと思ったものだ。とかく話が長くなると聞くほうも退屈を感じる。時間が経つにつれて身を入れて聞かなくなる。その状態を感じて、話す側はますます"噛んで含める"話しをする。これでは悪循環以外のなにものでもない。

似たようなことは毎日の授業でも考えられないだろうか。「いいか、ここは大事だからよく覚えておけ」と教師は言う。しかし単に大事だ、よく覚えておけだけでは、何で大事なのか、どうして覚えておかなければならないかが飲み込めていない。それでは教わる生徒が「なるほど」という感覚にならないのだ。

畑中豊先生が以前e-prosフォーラムで、「生徒になるほどと言わせる英語の授業」という講座をしてくださったことがある。生徒が「なるほど!」と感心するような授業を展開するにはどうするか。やはりそこには、なぜ大事なのか、覚えておいたほうがいいという具体的な理由に、それとなく触れておく授業展開が大切である。

そのためには教師はより幅広く勉強や体験をし、知識を蓄えておくことは重要だが、指導のときの間の取り方、ゼスチャーや様々なパフォーマンスなどを組み入れた授業の組み立てが必要である。田口徹先生が落語から学ぶために寄席に通ったり、川村光一先生のように演劇に強い関心を示し、そこから強烈なパフォーマンスを取り入れることも大事であろう。

英検発行の「STEP英語情報」2008年9・10号に、関西外語大学の中嶋洋一先生が連載している「授業力を高める」の中で、これと似たような指摘を読んだ。 授業力を高める切り札は「教師のことば」にあると中嶋先生はおっしゃる。以下一部を引用する。

「教師はしゃべるのが大好きである。しかし、しゃべり方はお世辞にもうまいとは言えない。話がくどいし、長い。思いつきでしゃべるからだ。万人を対象に話をする落語家、漫才師、司会者などと違って、相手は席を立って出て行けない"子ども"である。

プロの話し手は、聴衆が集中していないと自分の力量不足と反省し、話術を磨こうとする。
彼らは事前に入念に考えたことを、聴衆の様子を見ながら話す。しかし教師は『私の話を聞くのが当たり前』と考えているため、すぐに『うるさい』と叱りつける。または『評定』をちらつかせる。だから、いつまで経っても自分の話し方の弱点に気づけない。

授業の中で教師が行う『質問・指示・説明』は15分以内に抑え、残りの35分は生徒の活動を仕組みたい。そのためには活動を精選し、しゃべりたいことを事前に書いて筋を作っておくことだ。私の尊敬する砂田龍次氏(元砺波市立出町中学校長)は、一度も話しを長いと感じさせなかった。いかなるときも、事前に言いたいことを書いて、要点や順序を整理しておられたからである。

思い付きではないよく整理された話は、聞いていても気持ちがいいものだ。そこに巧みなユーモアや具体例などが混じると話す時間が長いなどということは感じない。これは日ごろの授業でも言えるのではないだろうか。いつだったかe-prosフォーラムに参加した先生とこんな会話をしていたら、「何を言ったら、どう表現したら、を常に気持ちの中に持っていて、電車の中でも町を歩いていても、テレビを見ても新聞を読んでも、気をつけている自分に気づくことがあります」と恥ずかしそうに話していた若い女教師がいた。優れた教師への階段を力強く登り始めているなと、逞しく感じたものである。

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