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フォーラムレポート

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英語教育東京フォーラム(2008.11.20)

専用の英語教室はゼッタイ必要

       大釜 茂璋(NPO法人 教育情報プロジェクト代表)

 「英語教育」12月号に田尻悟郎先生が、「私の理想の『英語教室』- 教科専用教室のすすめ」を寄稿している。

 音楽は音楽室、美術は美術室、体育は校庭と体育館、技術は技術室、家庭科は調理室と被服室。これらはどこの学校にも備わっているが、同じ「技能教科」である英語には英語教室がないのは何故だと疑問を呈している。

 英語をはっきり「技能教科」と位置付けたところは日ごろの田尻先生の英語指導と符合していて頷けるが、改めて英語教室の設置を提唱されると、特殊なケースを除いて英語教室を持つ学校の少ないことに気づく。

 英語はコミュニケーションを図るための、いわゆる技能を育成する教科であるはずだが、普段は国語や数学と同じ扱いで授業を行っている。それは学校の教科に英語導入したときの位置づけが、英語はコミュニケーションを図る道具ではなく、教養の一部としていわば入学試験の点数評価の対象としたところに原因があるのではなかったか。

 そういうことから英語は教科書を中心に、それを日本語に訳し、「彼は少年です」「これは本です」といった授業では、特に英語教室の必要性は感じなかったのだろう。

 しかし現代の英語教育はすっかり変わった。英語学習の目的を、高校や大学に入るための手段なんて言ったら笑われる時代。まさに進展する国際化の時代。社会に出て役立つ英語、いわゆる実用英語でなければ英語学習の意味がないのだ。

 指導には教科書だけでなく、様々な教材やオーラル機器、音読でも生徒の声は合唱練習に匹敵するぐらいの大きな声が出るし、インタビュー活動でも熱中してやればやるほど教室の外に声が漏れる。隣近所の教室には迷惑がかかると田尻先生も指摘する。

 英語教室は現代の英語指導には、ゼッタイに必要なものだと思う。しかしそういう田尻先生ですら、かつて勤務した中学校ではその確保に苦労している。いろいろと戦術を練って教室確保に四苦八苦する。あの田尻先生ですらこうだったのかと思うと、それが如何に難儀な挑戦であるかが伺い知るというものだ。

 何回も言う。英語教育の方法はすっかり変わった。英語を身に付けさせたいとする、社会が期待する価値観も変わった。最近の英語指導は、大きな音や声を出すのは当然として、教室中を動き回ったり走り回ったり。まさに「技能科目」以外のなにものでもない。

 この実態は学校経営者や他の教科の先生方にもできるだけ見てもらい、に英語教育の何であるかを理解してもらう必要がある。授業参観大歓迎。英語教室の確保のためには、自らの授業を開放してどなたもウエルカム。自らの努力によって確保するしかない。

高校入試も大学入試も、昔のそれとはすっかり変わったことも知ってもらおう。

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