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フォーラムレポート

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英語教育東京フォーラム(2012.7.06)

英語学習の方法と目的
                     大 釜 茂 璋

 英語によるコミュニケーション力の向上が、日本の英語教育の基盤に置かれてもうだいぶ経つ。自分一人、あるいは仲間と勉強し、またフォーラムやセミナーに参加して指導法を研究し、生徒たちがその気になって乗ってきてくれればしめたもの。勉強や研究の成果があったと達成感を感じても、それが入試とあまり関りがないとなればまた別の話しだ。

 このようなある意味指導法研究に熱心な英語教師に言ってはならない文言があるということを聞いた。地方の中都市の高校で英語教師をしている友人の話だ。

 中学生のときはそれなりに英語の力を身につけていて、どちらかというと英語は得意だった生徒が、高校に入学して部活でテニスに夢中になり、英語の勉強からから離れてしまった。しかし3年の春になって大学受験勉強に取り組んだが、得意だったはずの英語が足を引っ張っていることに気づいた。あわてて大学受験の参考書や問題集を買い込んで勉強するが成果はさっぱりあがらない。

 中学生の頃は英語で点数を稼いでいただけに、現状には焦りばかり。受験勉強も身が入らない。そこで、どうしたらいいか相談を受けたという。

 中学時代は英語は好きな科目だったが、高校生になって「2年間のブランク」といってもいいほど英語から離れてしまい、高校3年になって旧に受験勉強に取り掛かったところで、それは思うような成果を期待するほうが無理だろう。英語の勉強は、段階を追いながら一段ずつ確実にステップをあげていく学習法こそ大事なのだ。

 そこでこの教師の彼にたいしてのアドバイスは、「中学校の英語をもう一度やり直すこと」だった。中学生のとき英語は比較的得意だった。高校生になってテニスに夢中になってほとんど真面目に勉強することはなかった。3年生の春になって大学受験を目指して受験勉強を始めたが、英語が勉強の足を引っ張った。中学校で英語が得意だったことは、中学生としての英語の下地は出来ていると考えられる。これまでの経緯をざっと整理するとこうなる。
 それなら高校では、得意だった中学校の英語をもう一度しっかり復習をし、それを基礎に置いて高校の英語に取組むというステップ式学習法を指導したものだ。勉強に小細工の効いたテクニックを労することは禁物だ。そういう教師のアドバイスを受けて生徒は張り切って自宅へ帰って行ったという。

 ところがその夜教師宅に、この生徒の母親から電話がかかってきた。何事かと電話口に出ると、「息子に中学校の英語を勉強するようにアドバイスをしたようですが、息子は大学受験を目指しているんですよ。そんな暢気な勉強法で受検に間に合うんですか。その勉強法は本当に大学受験に役立つんですか」と。

 このように最近は指導法について教師宛、親からよく電話があるという。中には「受検に役立たない個所は簡単にやるか、飛ばしてください」という内容の電話があるという。

 7月期e-prosフォーラムで講師をお願いしている東京学芸大学特任教授金谷憲先生の著書「教科書だけで大学入試は突破できる」(大修館書店)ので出しにも、こんな文章がある。

 「高校の英語の先生方と話すと、必ず大学入試の話題になる。高校における英語授業の仕方を変えるということになると、必ず『変えることはできない。なぜなら大学入試があるからだ。大学入試が変わらなければ、高校の英語授業の仕方というものを変えることは出来ない』という結論になる。」

 「大学入試が高校の英語教師の前に立ちふさがっていることは確かである。『そんなことをやっていて、入試に失敗したらどうするんですか』などと言われれば、かなり不安になる。」

 「その指導法は入試に役立つか」という疑問や質問は、英語教師間の会話から発せられたものではないような気がする。少なくとも英語教師ならば、現在どういう英語がどういう指導法で教えられているかはわかっている。保護者もそうだが学校でも、このように受験至上主義のような価値観を持っている人は英語指導の知識には希薄な教師たちの発想に違いない。

 昔は、英語を学ぶ目的は受検で好成績を得るためと信じられ、真面目にそう言われた時代もある。しかしグローバル化を迎える今は違う。新しい教育のニーズに対応した新しいトレンドを無視し、それをないがしろにしている人は一体誰なんだろう。
(おおかま しげあき NPO法人教育情報プロジェクト代表)

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