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フォーラムレポート

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英語教育東京フォーラム(2009.10.30)

野村監督の野球人生
                         大 釜 茂 璋
 楽天の野村監督がユニフォームを脱いだ。南海ホークスファンだったボクにとって野村選手は憧れであり心踊る英雄であった。貧しかったという野村選手の少年時代は、雑誌などでも紹介されていたからよく知っていたし、それだけにホームランを打ち、三冠王など目覚しい活躍は我が事として喜び、心から声援を送ったものだ。

 現役時代はささやきのキャッチャーとして、監督になってからはボヤキ・毒舌監督としてつとに有名だが、今年のパ・リーグのクライマックスシリーズ、日本ハムとの第二ステージの敗戦で、不本意とボヤキつつ退任となった。これでプロ野球界の昭和の火がまた一つ消えた。

 それにしても最近のマスコミは、野村監督をして勝ってはぼやき、負けてはぼやく、ぼやくことばかりを記事にする傾向があった。こんなにぼやかれていたのでは、選手は浮かばれない、可哀相だという声も聞かれた。これでは、監督のために頑張ろうという気にもならないのではないかと、気を揉む楽天ファンも多かったことだろう。

 実際、先日の新聞でこんな記事を見かけた。
 「創立以来ずっと地元楽天ファンである我が家でも、24日の対日ハム戦は今季最後になるかも知れないと、皆でTVにくぎ付けでした。我が家では、実は野村監督をあまり支持していませんでした。度々の発言が、選手の教育のためとは言え懸命にプレーしている選手のプライドを傷つけ、やる気を失わせるという気持ちの方が強かったからです」

 それは8回2点ビハインドの2死2,3塁から、前々日の試合で125級も投げぬいて敗戦投手になったエース岩隈投手をマウンドに送った光景を見ての感想である。苦しい場で岩隈はエースの意気で登板を希望した。しかし助っ人スレッジに3点本塁打を浴びた。岩隈は男泣きに泣いた。この場合野村監督は、勝負よりも「情」を優先したとマスコミは書きまくった。野村監督はボヤキや毒舌だけが目だっていたが、本当の姿はありったけ「情」のわかる人だったのである。

 そして私たちは、あの感動的なシーンを目にするのである。勝負はついた。勝った日ハム、負けた楽天の選手が一緒になって野村監督を胴上げする光景を見て、誰もが胸を熱くしたあの光景。選手・監督時代を合わせて46年に及ぶと言う野村監督の教え子は多い。それは楽天はもちろん日ハムにもいる。その教え子たちが心を一つにし、感謝の気持ちを込めて恩師である野村監督を懸命に胴上げしている。

 自然発生的に、敵味方入り乱れ、突如として始まった胴上げだった。岩隈がいる。マーくんがいる。テッペイがいる。山崎が宙に浮く野村監督の体を支えている。くしゃくしゃと涙に濡れる日ハム稲葉の顔が見える。日ハム梨田監督までが駆け寄っている。ボクは感動の涙を通してこの光景を見、そして暫らくその前に釘付けされた。しびれるような感動が胸の奥を走り、強烈にこみ上げるものがあった。

 すべてが終わった。野村監督にとって46年と言う野球生活は長かったのか、それとも短かかったのか。それは楽しい思い出か、それとも辛く残る思いか。胴上げをする掛け声を通して伝わってくる教え子たちの温もりを、野村監督はしっかりと受け止めたに違いない。夢中で胴上げした教え子たちに、あのボヤキや毒舌は確かな効き目となって花開いていたのである。教え子の頭の中には"感謝"の文字が思っている。

 指導者と教え子。その関係はステージの場は違っても学校の教師と同じことだなという思いが、頭を過ったのである。今苦労している先生たちも、いつかは必ず胴上げされる日がくるに違いない。その日を信じて頑張ることこそが大事だと。
(おおかま しげあき NPO法人教育情報プロジェクト代表・東京在住)

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