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フォーラムレポート

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英語教育東京フォーラム(2011.3.19)

「日本人の持つ倫理観、道徳観」

       大釜 茂璋(NPO法人教育情報プロジェクト 代表)

 東日本大震災は、まさに1000年に1度の大災害という学者もいますが、それにしても未曾有の惨事は、とても直視することを躊躇するような多くの悲しみを残しました。地震によって押し寄せた津波は、多くの人を飲み込み、家をさらい、田畑を嘗め回して瓦礫の山に化し、高所に逃げ延びた人々はなす術を失ってしまいました。

 豪雪だった今年の冬に耐え、ようやく訪れた春を迎えるこの地方の人々の喜びを無残にも引きちぎり、地獄の底に引きずり込んだ大震災の恐ろしさと悔しさは、こうして語っても語りつくせるものではありません。心からお悔やみとお見舞いを申しあげます。

 時期は3月も中旬。学校は卒業式を終えたところもあり、また期末試験後の自宅自習など、比較的に自由を楽しむことができるじきでもあるようです。e-pros事務局にはいろいろな情報が寄せられますが、あの大地震を、たまたま国語科主催の文学散歩で訪れていた房総半島の銚子で遭遇した中学生たちがいました。千葉県習志野市のT大学付属中学校2年生23名のグループです。この日引率教師の一人として同行した英語科のI先生から、その時のドキュメントが送信いただきました。(後に掲載します)

 今回の大災害は世界の隅々まで報道され、それぞれ大きな関心を呼びました。その中でも特に注目されたのは、日本人の倫理観、道徳観の素晴らしさだったと言われます。あの混乱の中でも日本人は整然と行動し、海外ではとかく発生しがちな略奪や暴動もなく、老人や女性、子どもには親切に振る舞うなどの光景を、韓国や中国ではこれを日本文化として、むしろ驚きと感動の目で見たというのです。

われわれ日本人にとってはいささか面映いものもありますが、自国では見ることのできない倫理観、道徳観だということのようです。日本文化の言い知れぬ深さがここにあり、まだまだ日本に学ぶことは多いのだと自国民を啓蒙していると語る人もいました。

日本人の謙虚さはとかく控えめで消極的と言われています。外国でこれでは、とてもこれらの国の人々に伍していくことは出来ないという人もいます。しかし大混乱に臨んでの、このような日本人の振る舞いが高く評価されました。誉められて浮かれることなく、今一度日本人としてのアイデンティティーをじっくり考えてみたいと思いました。


 ところで送られて来たドキュメントは次の通り。ほぼ原文のまま掲載します。

◇「文学散歩」で銚子の小旅行
 大地震の襲った3月12日は、勤務校は試験終了後の「採点日」で、生徒は自宅学習日でした。この日は本校の国語科主催の「文学散歩」という行事があり、多くの作家・詩人の歌碑がある千葉県銚子市へ、日帰りの予定で、中学2年の希望者23名が小旅行をしました。引率は国語科教員の4名と、銚子市出身で現在中2学年に所属する私が担当しました。

 歌碑の見学を終え、昼食を済ませた後、生徒と国語科教員はヤマサ醤油工場の見学へと向かい、私は一時的に別行動をとって犬吠埼にある実家に立ち寄りました。

 その後銚子駅で落ち合おうと銚子電鉄に乗ったところ、途中の駅で強い揺れに見舞われ電車は急停止。生徒たちはその時、丁度醤油工場の見学を終えるところでした。

 電車の復旧の見込みが無いため実家に電話。父親に車で迎えに来てもらう事にして、生徒や他の教員と合流しようとす銚子駅に送ってもらう途中、市内で婦人向けの小さな洋服店を営む母親を拾うことにしました。母は、「多分電車は動かないだろうから、生徒は家に泊めてあげれば?」と言っていました。

 銚子駅ではうまく生徒・教員と合流することができ、そこで両親は帰宅。ところが待つうちに銚子駅では、「本日中の復帰の見込みは無い」というアナウンス。生徒は動揺し、とにかく生徒を安全に宿泊させる場所を探さねば、という状況になりました。とは言っても銚子駅近辺は停電。自家発電で営業を続けているホテルや旅館を当ってみましたが、どこも満室。それではと、犬吠埼近辺のホテル・旅館を探すことにしました。

 まずはタクシーで、全員が犬吠埼にある私の実家に向かい、それから宿泊先を探すつもりでしたが、到着する前に父親が近所のホテルに予約を入れてくれていました。突然の宿泊ゆえに、ホテルでは夕食は用意できないといいます。

◇大奮闘の両親に生徒も手伝う
 そこで両親は、直ちにご飯を大量に炊き、おにぎり・味噌汁等を提供することとなりました。生徒たちも積極的におにぎりを握るのを手伝っていました。ホテルの従業員も、突然の宿泊客にも関わらず、とても親身に接してくださり、翌日も、電車・高速バスの復旧の見込みが無かったことから、観光バスの手配まで手伝ってくださいました。

 そして途中ひどい渋滞に巻き込まれながらも、全員無事で学校に到着することが出来ました。

 学校に到着すると、多くの同僚教員が温かい言葉をかけ拍手で出迎えてくれました。勤務する学校でも、部活動などをしていて帰ることが出来なくなった生徒が、学校に宿泊したため多くの教員が徹夜で対応したものでした。私たちは少しでも早く学校へ帰ることを優先して昼食もとっていませんでしたが、昨夜徹夜の教員たちが私たちのためにと、食料まで用意してくれていました。

 また私が顧問をしている本校の陸上競技部の生徒たちが、近隣の中学校に昨夜一晩お世話になり、その中学校の陸上競技部の顧問教師が徹夜で対応してくださったことも知りました。

◇『有難う」"Thank you"
 この二日間で最も多く聞かれた言葉は「ありがとう(ございます)」でした。私も両親も、生徒や同僚の教員から沢山の感謝の言葉をもらいました。そして私も、ホテルの従業員、タクシーの運転手、近隣の中学校の先生、同僚教員のみなさんへと、多くの方々に感謝の言葉を贈りました。特に両親には、親不孝者を自認する私でも、感謝してもし切れるものではなく、今までまともに両親への感謝の言葉を贈ったこともない(勿論心の中では感謝しているものですが)、へそ曲がりの私であっても今回は、自然に「ありがとう」という言葉が出てきました。

 突然ですがここで英語の話に戻ります。私は授業の時、ペア・ワークが終わってペアを換える前に、必ず"Thank you."を言わせることを徹底しています。英語でも日本語でも「ありがとう」という言葉は一層大切にしていきたいし、生徒にもそういった意識を常に持ってほしいと思います。(東邦大学付属東邦中高等学校 市田 州英)

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